事務員から、システムエンジニアへの転職した経緯
わたしが転職したきっかけについて、かきたいとおもいます。わたしは、もともと、文系の大学を卒業してから、事務員の仕事につきました。
とうじは、心理学を専攻しており、しょうらいは、臨床心理師の資格をしゅとくし、病院で勤務することを、きぼうしておりましたが、なんせ、わたしが、大学を卒業した、2004ねんごろは、就職難で
、かつ、奨学きんも、かりていたため、大学院へ進むためには、さらに、奨学きんをかりなければ、いけなくて、あきらめざるをえませんでした。
就職活動は、多難ではありましたが、50社ちかくまわったうえ、結局、第一きぼうの、事務しょくに、就職することが、できました。
事務員のしごとを、六年ほどつとめましたが、正社員ではなかったため、給与がとてつもなく、やすく、六年後に転職をしました。
転職活動の業種は、文系のしゅっしんからは、異業種ねか理系の、エンジニアの仕事でした。
エンジニアは、とうじ、わたしが転職活動していたさいは、未経験からのさいようが、積極的であり、文系のしゅっしんの方も、わりと、いちから、教育してくれました。わたしが、会社訪問いった会社は、派遣ではありますが、20代のわたしを、いちから、いちにんまえのシステムエンジニアに、育ててくれました。
面接では、なぜ、事務員から、システムエンジニアの職種をめざそうとしたなどの経緯を、こまかくきかれ、緊張のあまり、うまくこたえることが、できませんでしたが、採用がきまったときには、たいへん、うれしかったことをおぼえております。
採用されてからは、教育実習期間が、数ヶ月ありました。派遣とは、いえども、派遣元とのあいだの雇用けいたいは、正社員であったので、ボーナスも支給されます。
数ヶ月かんは、アルバイトというかたちで、給与が支給されました。ひとりぐらしで、アルバイトは、きつかったのですが、転職をするために、50万円ほど、貯金をしていたので、なんとか、節約しながら、生活できました。
数ヶ月かん、プログラミング言語の勉強をしました。プログラミング言語のしゅるいは、Javaでした。のちのち、主流になる言語です。
数ヶ月後に、確認テストで、開発をいちからして、見事採用され、げんざいは、バリバリのプログラマーとして、はたらいてます。
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